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ボーンホルム島の思い出

      2024/07/23

伊藤 真人

 

 昨年クリスマス休暇を兼ねて、久しぶりの家族旅行で HyggeとLykkeの国デンマークを訪れ た。ヒュッゲ(Hygge)とリュッケ(Lykke)と聞いても、ピンとこない場合も多いと思うが、 ヒュッゲとはデンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」の意味であり、リュッケと は「幸せ」を意味している。高福祉国家として知られるデンマークでは、物質的な豊かさを追求 することよりも生活の中のヒュッゲとリュッケを大切にしていると言われている。

 

 さて皆さまは、デンマークというと何を思いだすしょうか? 私の場合は、がっかりな観光名 所の代名詞でもある「人魚姫像」と、「ロイヤルコペンハーゲン」「北欧ビンテージ家具やおしゃ れな照明」の産地としてのイメージしかなかった国である。訪れたのはクリスマス直前であり、街 中のあちこちにクリスマスマーケットが立ち、うきうきした気配はあるものの、ドイツやオース トリアほど華やかなマーケットではないし、冬のデンマークは完全にシーズンオフで観光客もまば らである。では何故に、わざわざ寒さ厳しい北ヨーロッパまで出かけたかというと、末の娘がデ ンマーク王立美術院のボーンホルム校へ留学しているうちに訪れてみようと考えたからなのだが、 booking.comで国際線の航空チケットを購入してからデンマークのことを調べ始めたら、この季 節にはヨーロッパならどこでもやっているような小規模なクリスマスマーケットがあるくらい で、あとは・・・「人魚姫像」くらいしかないということに気づいて愕然とした。行き当たりばっ たりで始めた旅行計画は、その後紆余曲折して結局ウィーンにまで足を伸ばすことになったのだ が、今回はその全ての行程(国際線・EU内の航空チケットやホテル・民泊はもちろん、レンタカー まで)を、同じbooking.comのサイトで予約・管理できるのは至極便利であった。

 

 とはいえ、旅の目的は娘が生活しているBornholm島まで行き、暮らしぶりをみてくる事であ る。ガイドブックによると、Bornholm島はコペンハーゲンから東に約150km(コペンハーゲン からフェリーで7時間、レシプロ旅客機で1時間弱)のバルト海に浮かぶ、淡路島と同じぐらい の大きさの島である。スウェーデンのすぐ南で、ドイツやポーランドに囲まれる孤島であるが、 れっきとしたデンマーク領の島である。そしてデンマーク人が愛してやまないリゾートアイランド なのだそうである(ただし、夏の間は、、である)。元々は漁業と畜産の島で、今も島の名物は ニシンの燻製であるが、北欧屈指のグルメの島でもあるそうな。さらに、18世紀から工芸家や芸 術家の集まる島として多くのアーティストが移住して来たために、いつしか「芸術家の島」と言わ れるようになったそうである。特にガラス工芸や陶芸が 有名なのだそうである。この島の人里離れた海岸沿いに デンマーク王立美術院のBornholm校がある。

 

成田空港から、エミレーツ航空の中東ドバイ経由でコ ペンハーゲン空港に到着し、その足でボーンホルム空港 へとボンバルディアで飛んだ。レシプロ機特有の心地よ い振動に揺られながら不思議なピンク色の空(写真)に 漂ううちに冬の短い日は暮れて、ボーンホルム空港に着 く頃にはまだ17時前だというのに外は真っ暗である。飛 行機から外を歩いてターミナルに着くと、この日の最後 の便のため空港ビルもすでに薄暗くなっていた。なにせ 小さな島であり、空港を出てもバス停がある以外にはタ クシーは1台もいない。予めbooking.comでレンタカー を予約していて正解であった。コペンハーゲン空港から 直行であったため、スーツケースも人数分あり収まりき らないのではないかと道中不安であったが、荷物は予約 したBNWのSUVレンタカーにぴったり収まり、まずは ホッとした。

 

 この島は、夏場は晴れた日が多く風光明媚なリゾートだが、冬場は毎日曇りや雨の天気が続き 観光客も来ないので、ショップもレストランも閉まっている。私たちが訪れた時も島全体が濃霧に 覆われており、空港で借りたレンタカーを走らせていると、真っ暗で周囲の見えない濃霧の中の 一本道は何やら地の果てにまで続くかのような心細さを感じたものである(日本から、この季節 にわざわざやってくる観光客などもちろん皆無で、文字通りの地の果てではあります)。ようや く小さな町に辿り着き、宿(一軒家の民泊)に到着したのはよいが、玄関の鍵は壊れて閉まらず、 周囲にオープンしているレストランもない。初

日から腹をすかして寝る羽目になるのかと危惧した が、幸いに開いているスーパーマーケットを見つけて食料を買い出して、宿に戻って料理を作るこ とができた。あとで宿のオーナーに聞いたところでは、この辺りでは玄関の鍵など閉めなくても 大丈夫なのだそうである。

 翌日は、娘が友人たちと3人でシェアしている長屋風のアパートメントを訪問した(写真)。室 内は広く、大きなテーブルのあるリビングダイニングと、キッチン、バス・トイレ、全て床は石で あるが足元がほんのりと温かい。この辺りの家は、どこへ行っても床暖房が完備されているよう である。娘が在学するデンマーク王立美術院 Bornholm校の学生は、普段近くの食品加工工場で 余った無農薬でオーガニックな果物を無料で分けてもらって、料理や手作りジャムにしているそう で、厳しい自然の中でも何とも素朴でゆったりした時間の流れを感じさせる。いつもの散歩道だ というのでついて行くと、人っ子一人いない原野の先に大きく深い湖があり、夏場は学生が集 まって水浴びをするのだそうである。

 

 

 デンマークは高度福祉国家として有名であるが、国民の幸福度が高くHyggeとLykkeの国と言 われていることは帰国してから知ったのだが、まさにヒュッゲ(Hygge:「居心地がいい空間」 「楽しい時間」)とリュッケ(Lykke:「幸せ」)を感じるための演出が、建物や町全体に溢れて いるようであった。

 

 ところで、デンマーク人気質を表すものに「ヤンテの掟(Jante Law)」というのがあることを ご存知だろうか? 厳しい環境で暮らしたバイキング時代の名残もあるのだろうか、ヤンテの10 か条の掟は「あなたは自分が賢く有能で、人より重要な特別な存在だと思ってはならない」と説 いている。これはまるで、20年前に日本で大ヒットした「世界に一つだけの花」とはまるで真逆 の世界観のようである。もっとも近年では、「ヤンテの掟」の相互抑圧的なメッセージを転換 し、「私たちは自らの価値を信じるべきだ」という、より積極的なメッセージに置き換える運動 も起きているとのことである。翻って、かつての日本にも「ヤンテの掟」に似た暗黙の掟(出る 杭は打たれる)が存在していた。さて、現代の日本の若者たちの中にも、今も「日本版ヤンテの 掟」から逃れられずに、自分には何もできないと最初から諦めている人が多いように思われる。 それとも「世界に一つだけの花」の虜となって、何もできないありのままの自分で良いと思って いるのだろうか?

 

 お腹も空いてきたので、レンタカーでグドイェム(Gudhjem)の町まで行き、一軒だけ開いて いたレストランでオープンサンドやハンバーガーのランチをいただいた(写真)。夏場は多くの ショップやブティックが店を開いて賑やかだそうだが、オフシーズンで街は閑散としており人影も まばらである。とはいえ本当のBornholm島を体験することができたようであった。以前、私がカ ナダに留学していた頃、オンタリオ出身の友人に「カナダで一番好きな季節はいつか?」と聞い たところ、「日の長い夏も、紅葉の綺麗な秋もよいが、何と言っても寒くて凍った冬のカナダ (Cold and Frozen Canada)が好きだ」と答えたのを思い出した。

 

 その後、島一番の観光スポットと言われる Hammershus Slotsruinという13世紀に建 てられた古い城跡へ足を伸ばしたが、真冬 の曇天のもと強風吹き荒ぶ海を見晴らす断 崖絶壁の上に建つ城の廃墟を見ていると、 当時の生活の厳しさをほんの少しだけ垣間 見たような気分になったものである。あい にくの悪天候だからこそ、ほとんどの旅行者 が知ることのできない、本当のボーンホル ム島を見ることができたのではないかと、 少し得した気分に浸ることができた1日で あった。旅はこのあと、コペンハーゲン、 ウィーンへと続くのだが、それはまた今 度、機会があればご報告をするとしよう。

 

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